柏原寛司が語る「生きた脚本」の条件|キャラクターで勝つ脚本術

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脚本に関するコラム

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脚本を書き慣れてくると、気づけば「構成の正しさ」や「伏線回収の気持ちよさ」に意識が偏ってしまうことがあります。もちろん、それは大事です。むしろ勉強してきた証拠です。

けれど、その先で一度ハマる落とし穴があります。整っているのに、面白くない。破綻はしていないのに、心が動かない。そんな脚本です。

今回紹介したいのは、刑事アクションの金字塔を数多く手がけてきた脚本家・柏原寛司さんのインタビューから抜き出した「プロとして突き抜けるための感覚」です。

脚本は論理だけでは生きません。むしろ、論理が整うほど、いちばん大切なものが置き去りになりやすい。そんな危険を、レジェンドの言葉が静かに止めてくれます。

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「ロジック」よりも「キャラクターの習慣性」を守れ

脚本を学び始めた頃は、ロジックが武器になります。矛盾をなくす、情報を整理する、展開をつなぐ。これができるようになると「自分は前に進んだ」と実感できます。

でも習熟者ほど、別の罠にハマります。「完璧なトリック」に心が奪われることです。筋が強いほど勝てると思ってしまう。けれど柏原さんは、テレビシリーズの本質をこう言い切ります。

視聴者は、そのキャラクターに会いに来ている。キャラクターが気に入れば、また来週も遊びに来てくれるんだ。

この言葉はかなり重いです。つまり、事件やトリックは「入口」であって、「目的」ではない。視聴者が毎週戻ってくる理由は、謎がすごいからではなく、そのキャラとまた会いたいから。そこに尽きるということです。

だから脚本を書く側は、整合性を優先するあまり、キャラクターを説明のための駒にしてはいけない。筋を通すためにキャラを動かしすぎると、キャラの魅力は急速に痩せます。

視聴者が「このキャラなら、事件がなくても見たい」と思えるか。脚本が上手い人ほど、ここを自分に問い直した方がいいのかもしれません。

現場で「腐る」脚本、生き返る脚本

脚本を書いた瞬間に「完成した」と思いがちです。でも映像作品は、脚本が完成した瞬間から別の生命体になっていきます。役者が入る。現場が回る。空気が変わる。そこから作品が育ち始めます。

柏原さんは、『あぶない刑事』のような現場で起きる変化について語っています。

(俳優が)自分で考え始めて色々やり始めると、キャラがだんだん変わってくる。そうなると数字(視聴率)もついてくるんだ。

ここで重要なのは、俳優が勝手に変える、という話ではありません。脚本家が「変われる余白」を残していたからこそ、キャラクターが現場で膨らんだということです。

脚本は、決定稿が完成ではありません。むしろ本番の入口です。演じる人間が身体ごと入り込める空間があると、キャラは生き始める。逆に、全部を固定して、答えまで書いてしまうと、現場で腐る。

自分の言葉に固執しないこと。俳優の熱やアドリブを吸い込んで、想定外の化学反応を起こさせる柔軟さ。これが作品を「脚本が上手い」から「エンタメとして強い」へ押し上げます。

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「ファンに媚びること」の危うさを知る

作品が人気になると、ファンの声が大きくなっていきます。もっとこの組み合わせが見たい。もっと甘いシーンを。もっと分かりやすく。もっと優しく。こういう要望は、実際に届きます。

ここで怖いのは、作者側が「喜ばせたい」と思ってしまうことです。喜ばせたい気持ちは自然です。でも柏原さんは、その危険性を容赦なく言います。

女向け(ファン向け)に媚び始めると、番組はだんだん腐っていく。最初の狙いと違ってきて、結局ファンも逃げていくんだ。

痛いほど刺さります。ファンのために変えたのに、ファンも離れていく。その理由はシンプルです。媚びは「作品の芯」を削るからです。

ウケる要素を入れること自体が悪いわけではありません。問題は、作品が最初に持っていた毒や温度、狙いが消えていくことです。

脚本を書いていて迷ったとき、見るべきは「今の声」より「最初の衝動」です。この企画は、誰に何を届けるために始まったのか。その核を守ることが、シリーズを腐らせない脚本家の倫理観なのだと思います。

現代の「技術的制約」をどう突破するか

今の時代、刑事ものやサスペンスを書くと必ずぶつかる壁があります。監視カメラ、スマホ、GPS、AI、防犯の進化。昔なら成立した逃げ道が、今は塞がっています。

柏原さんは現代の状況をこう語ります。

今は街中に監視カメラがある。アリバイを作るのは大変だよ。でも、それをどう回避して行くかを考えるのが今の時代の刑事ものなんだ。

この視点が、まさにプロの視点です。制約は嘆くものではなく、次の仕掛けを生む場所です。

「今はもう書けない」「コンプラが厳しいから無理」と言うのは簡単です。でも本当に強い脚本家は、その壁を前提にして勝負します。条件が厳しくなったなら、その条件の中で成立する面白さを探す。そこに筆力が出ます。

制約を障害として見るか、新しいトリックの種として見るか。その差が、作品の寿命を決めます。

まとめ:技術の先に残るのは、「観客を喜ばせる執念」

柏原寛司さんの言葉をまとめると、根っこにあるのは一貫してこれです。どうすれば観客がワクワクするか。どうすれば画面が生きるか。

ロジックを磨くのは大事です。整合性も必要です。でも、その先で脚本を突き抜けさせるのは、キャラクターの魅力、現場が育つ余白、芯を守る覚悟、制約を楽しむ発想です。

そして最後に残るのは、作者自身のサービス精神です。面白いものを届けたいという執念です。

脚本は、正しいだけでは人の心を動かせません。生きた脚本とは、キャラクターがそこにいて、観客がまた会いたくなる脚本のことです。今日の学びが、あなたの一本を「整っている」から「熱い」へ変えるきっかけになれば嬉しいです。

参考:20190327 kashiwabara s(youtube)

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