あんのことに思いを馳せて現実を見る – 映画『あんのこと』レビュー
この記事は 2024年9月26日 に更新されました。
現代のあらゆる不幸を寄せ集めたような映画『あんのこと』は、一人の少女が底辺から這い上がろうと奮闘する姿を描いています。いきなりネタバレになってしまいますが、主人公の杏(あん)は、現実の闇に引きずられ、最終的には悲しい選択を余儀なくされます。
この映画は、スカッとするフィクションを求める観客には、少々刺激が強すぎるかもしれません。不幸な生い立ちの子が不幸な結末を迎える展開には、ほとんど救いが見当たらないからです。
この作品の核は、現実の厳しさを直視する点にあります。作中で描かれるのは、希望や成長の物語ではなく、我々が、もしくは隣人が直面するかもしれない、どうしようもない現実です。そこに薄っぺらな幸せの描写が入り込む余地はありません。
まるで「マッチ売りの少女」の再解釈のようにも思えます。貧困に苦しむ少女が最終的に天に召されるという悲劇。この物語を読んだ当時の人々は、彼女の不幸を他人事とは思えなかったでしょう。なんて可愛そうなんだろう、明日は我が身かもしれない、そんな感情を抱いたはずです。その感情は、実は、仏教で言うところの供養に当たるのではないでしょうか。
供養とは、死者の冥福を祈ることにあります。せめて死後の世界では幸せになってほしいと願うことです。
映画は、観客に対して、杏の死を悼み、その幸福を願うよう、供養を促します。悪徳警官や正義感に燃える雑誌記者が、ラストで大いに嘆き悲しむように。それが、杏の物語を通じて最終的に表現されるテーマではないでしょうか。
杏の抱える問題は、日々ニュースで目にするものであり、我々はその不幸に対して冷淡になりがちです。しかし、この映画は、杏の経験を通じて観客に自分のこととして考えさせます。
言葉だけでは知っているが、実態を知らない問題(売春、薬物、ネグレクト、虐待など)。それらをストーリーとして描くことで、観客は共感を覚えます。
そして、杏を自分に重ねて、自分の心に響く何かを感じ取る。シンクロした彼女が不幸な運命を辿ったとき、観客は供養の念を抱かずにはいられないのです。
杏の物語は、ただのフィクションで終わりません。私たちが「あんのこと」を考えるとき、肉薄しすぎてぼやけていた現実に、ピントが合うはずです。杏の物語が、あなたに何をもたらすのか、それは観る者の心次第ではないでしょうか。
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